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大阪を代表するビジネス街の入り口、中之島の南を流れる土佐堀川に架かる橋が淀屋橋です。 大阪市を南北に走る御堂筋が通っています。 【交通】 地下鉄御堂筋線淀屋橋駅、京阪電車淀屋橋駅下車すぐ |
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淀屋の碑 淀屋は江戸時代前期の大坂を代表する最大の豪商であった。 淀屋の豪富と闕所のことはあまりにも有名である。 淀屋の本性は岡本氏通称三郎右衛門、城州岡本の荘の出身辰五郎の称もあった。 豊臣氏が天下を天下をとるに及んで大坂に出で、十三人町(いまの大川町)にト居し、 淀屋と称し、材木を商う。 元和元年京橋一丁目の淀屋持地に青物市を開き、また米の相場をたてる。 中之島を開発し、常安請地を開く。常安橋ー常安町の名がいまにのこる。 初代常安の長子(養子)善入善右衛門。常安町家、斉藤町家の祖となる。 次子(実子)常有五郎左衛門は別に大川町家の初代となり、言直から六代までつづく。 心斎橋筋から西肥後橋の間にその宅地があり、その宅内の小路を淀屋小路という。 四十八戸前のいろは蔵有り。 町人蔵元の元祖いわれたが、むしろ巨大なる米商人と目すべく淀屋米市のために 土佐堀川に自費で橋をかける。 淀屋橋であり、ここで行われた淀屋米市の盛大さはこの碑の絵が表現する通りであった。 |