【 伝説 】
中津川に面した昔の野里は打ち続く風水害と悪疫の流行によって悲惨な明け暮れで近隣の村人たちは野里のことを「泣き村」とも呼んでいた。
この村を救うためには毎年定まった日に一人の子女を神に捧げよとの宣託があり村を救う一念から村人の総意でこれを慣行していた。
人身御供の子女は毎年1月20日丑三つ時に唐櫃(からびつ)に入れられて神社に運ばれ放置された。
ちょうど7年目の行事を準備している時、一人の武士が立寄り、村人からことの詳細を聞き、「神は人を救うもので人間を犠牲にすることは神の思召しではない」
と乙女の身代わりに唐櫃に自ら入って神社に運ばれた。
翌朝、そこには武士の姿は無く大きな狒々(ひひ)が深手を負い絶命していた。
この武士こそ当時、武者修行中の岩見重太郎であると伝えられている。
村ではこの後安泰の日々を送るようになった。 |
【 乙女塚 】
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【 祭の詳細 】
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【 野里住吉神社 】
【 当矢 】 人身御供を差し出す家。今年は池永邸(国の登録文化財)です。当矢では小さな官女7名がキレイな衣装を着けて準備中です。
池永邸 |
お迎えを待ってます |
衣装を着けて待機中 |
カワイイね |
【 神社14:00→当矢 】 祭り行列が神社を出発して当矢を訪れます。当矢では「別れの盃」を交わし儀式を行います。
【 当矢→神社15:30 】 官女は父兄と手をつなぎ金棒を先頭に神官・楽人・巫女・唐櫃と一緒に神社に向かいます。
町内を練歩きます |
楽人・巫女 |
官女 |
神官 |
神社に到着 |
官女もお疲れ様 |
唐櫃・神官 |
昔の行列 |
【 神社ご拝殿 】 官女や関係者と神官・楽人・巫女が入り祝詞・神楽の演奏など祭事が行われます。
拝殿に到着 |
夏越桶を祭壇に |
官女も座ります |
昭和初期の拝殿 |
日時 : 2月20日 14:00頃
場所 : 野里住吉神社
住所 : 大阪市西淀川区野里1-15-12 野里住吉神社
パンフレットは神社・当矢で配布されています
練歩きのルートは当日神社に貼り出されます